2005-03-30 第162回国会 衆議院 財務金融委員会 第14号
○勝野政府参考人 勲一等につきましては、内閣総理大臣、衆議院議長、参議院議長及び最高裁判所長官の職にありまして功績があった方に授与されていたところでございまして、堤康次郎氏につきましては、衆議院議員及び衆議院議長の功績によりまして、先ほど申しましたように勲一等旭日大綬章が授与されたところでございます。
○勝野政府参考人 勲一等につきましては、内閣総理大臣、衆議院議長、参議院議長及び最高裁判所長官の職にありまして功績があった方に授与されていたところでございまして、堤康次郎氏につきましては、衆議院議員及び衆議院議長の功績によりまして、先ほど申しましたように勲一等旭日大綬章が授与されたところでございます。
○勝野政府参考人 お尋ねの堤康次郎氏につきましては、昭和三十九年四月の死亡されたときに勲一等旭日大綬章が、また、堤義明氏につきましては、平成九年秋の褒章におきまして藍綬褒章がそれぞれ授与されているところでございます。
○岩國委員 一般論としてで結構ですけれども、この勲一等旭日大綬章ですか、それから藍綬褒章、それはどういう功績を評価してお受けになるのか。
平成十一年十一月には、勲一等旭日大綬章受章の栄に浴されたほか、同年二月には、本院より永年在職議員として表彰されるなど輝かしい実績と栄誉を残されました。 しかし、井上吉夫先生の真価は、こうした輝かしい経歴のみでは語り尽くせません。 先生は、山と土を愛する気さくで飾り気のない、真の薩摩隼人でありました。また、常に人への感謝を忘れず、自己に厳しく他人に優しい人でした。
かつて、アメリカの空軍参謀総長に対して、平成十二年ですか、勲一等旭日大綬章を授与しましたが、そのときの授与理由は、日米両国の安全保障に貢献したとはっきり書いてあるわけです。にもかかわらず、今回の閣議決定の叙勲基準には、日本の安全保障、国防に貢献した者に与えるということはどこにも書いてありません。
そのことを防衛庁の事務方に申し上げましたら、いやいや、事務次官も勲二等ぐらいだから大体これでいいんですということをおっしゃいましたけれども、一方で、在日米軍の大将には勲一等旭日大綬章をお渡しになっている。 私は、こういう格差というのも、特にあの世界で働く皆さんにとっては非常に勲章というのも重要なものですから、十分な配慮をしてあげてほしいなと思います。
世耕先生は、本年四月、勲一等旭日大綬章受賞の栄に浴されたところでありますが、夏ごろから体調を崩され、御家族の懸命な御介護もそのかいなく、大阪狭山市の近畿大学医学部附属病院において不帰の客となられました。 私は、ここに、同僚議員各位の御同意を得て、議員一同を代表し、正三位勲一等故世耕政隆先生のみたまに謹んで哀悼の言葉をささげたいと存じます。
日本はこの人に勲一等旭日大綬章を贈った。非常にいいことをしたと思いますか。総理、あなたは広島ですから、はっきり答えてください。
ところが、対照的に、私がここで取り上げたい問題は、例えば被爆者にはそういう厳しい態度をとりますが、日本に対する原爆投下の最高指揮官であったカーチス・ル・メイ空軍大将には、もちろん原爆投下を理由としてではありませんけれども、日本政府から外国人に与える最高クラスの勲一等旭日大綬章というものを与えている。
一方、男性は勲一等旭日大綬章が勲一等宝冠章に当たるわけですね。それで、勲一等旭日桐花大綬章になりますと、これは勲一等宝冠章及び勲一等旭日大綬章よりも上位だ、それから菊花章はもちろん上位だということになって、しかもこの勲一等旭日大綬章及び菊花章は男性だけにしか授けられない、女性には授けられないわけですね。
「地域を最優先する政治」をモットーとされ、勲一等旭日大綬章受章の弁も、「選挙区の人々のおかげ、地方が栄えてこそ国の発展がある。」というものでした。 かくて、本院議員に当選すること実に十二回、在職三十三年二カ月の長きにわたりました。昭和五十七年十一月には、永年在職議員として院議をもって表彰を受けられております。その際に吐露された言葉は、政治は清かるべし、政治は正しかるべしとの政治信条でした。
昨年秋には、勲一等旭日大綬章を受章されましたことは私どもの記憶に新たなところであります。 ここに、我々議員一同は、君の二十五年の御功績に対しまして深甚なる敬意を表しますとともに、本日栄誉ある表彰を受けられましたことに対し、心から祝意を表する次第であります。 現下、我が国内外の諸情勢はまことに多事多増であり、本院に対する国民の期待もまた大なるものがあります。
いずれにしても大臣ね、私は今、笹川さんが勲一等旭日大綬章になったことについてけしからぬとかなんとかということを言っておるわけではないんですがね。その理由が、今申し上げたような資金をそれぞれ分配して歩いて、僕は本来ならこういう金というのは公的資金に値する取り扱いがあってしかるべきではないかと思うんですよ。
私がきょう聞きたいのは、笹川さんが大変話題の多い人ですが、春の叙勲で勲一等旭日大綬章を授与されたと。五十三年には瑞宝章なんですけれども、調べてみますと、何か位が上がったというか、その間によいことをしたとかいう場合にはこういう例もあるようですね。
先生は、このたび勲一等旭日大綬章を受章されることになり、この上ない光栄と感激しつつ五月八日の親授式をこよなく楽しみにしておられたのであります。しかるに、その日を待たず、天は無情にも先生を奪い去っていかれました。どうしてせめて旬日の命を与えてくれなかったのでありましょうか。まことに哀惜痛恨のきわみであります。 現下、我が国は世界的な視野に立って内政、外交を展開すべき重大な時期に直面しております。
ところで、私は、生存者叙勲などというものが発表されるたびに、つくづく感慨無量といいますか、ないしは申しわけない思いに至りますのは、国会議員を何年かなさった人が勲三等ないしは勲一等旭日大綬章、私は決してその功績をないがしろにというのではありませんけれども、しかし国家に命をささげられました兵隊さん、これが兵でありますと勲八等、七等でして、これの差は何だと私はいつも思います。
このようにして我が国政に数々の功績を積まれた君は、昭和五十六年一月二十六日永年在職議員として院の表彰を受けられ、さらに、五十七年秋、勲一等旭日大綬章を授与されました。これぞ君の熱烈果敢な政治生涯にささげられた国民感謝のあらわれと申すべく、慶祝このことに存じます。
そうすると、勲一等宝冠章というのは勲一等旭日大綬章に当たるわけだと思いますね。そうしますと、女子については旭日桐花大綬章あるいは大勲位菊花大綬章、大勲位菊花章頸飾に当たる勲章はないということになりますね。そうですか。
現状はどうなっているかというと「勲一等旭日大綬章剱木謹書」こうなっている。全然違うものなんですよ。それからまた背文面は、申請はどういうふうになっていたかといいますと、いま問題になっている碑文が書かれているところは、この顕彰会の申請では「福岡県慰霊顕彰会会長太田清之助書」、こうなっているのだ。それが全く似ても似つかないようなものがつくられてしまったのですよ。
太平洋戦争末期の日本の爆撃に大きな役割りを果たし、何百万人の人に被害を与えた人に、しかもあの地球上に二回しかない原爆の投下にも深い関係があった人に勲一等旭日大綬章を与えたということは国民的感情としてもいまなお私は納得ができません。このような政府だから人間としての節操と尊厳を忘れたことができるのですよ。生活に困ったら生活保護でお情けにすがりなさい。
○須原昭二君 そのルメイ大将が勲一等旭日大綬章を受けたその昭和三十九年十二月の七日の午後には防衛庁を訪れて、当時の三輪事務次官にあいさつをしております。そして、昭和四十年の三月十日付の朝日新聞の「天声人語」にこう書いてこの問題に触れております。「歴史の変転と皮肉を思わずにはいられぬ」、こういっております。日にちがたてばたつほど世の中、変わっていくもんだ、皮肉なもんだということですよ。
昭和三十九年十二月七日の日に勲一等旭日大綬章を授章さしたという、大綬章を与えた、授章の目的は何でした、授章の理由は何ですか。日本人たくさん殺したから。
○阿具根登君 私は、各位の御同意を得まして、議員一同を代表して、去る五月二日逝去せられました参議院議員正三位勲一等旭日大綬章故赤間文三君のみたまに対し、つつしんで御冥福をお祈り申し上げますとともに、君の生前の御功業と御遺徳をしのびつつ、追悼の辞を申し述べたいと存じます。
その問題はあとへ回しますが、長官は久しぶりに防衛庁長官として二期連続、二年以上長官の任にあられて、近来まれなる熱心な勉強大臣として誉れが高いと思うのですけれども、この次の委員会のときに長官に相まみえるやいなや懸念があるが、勲一等旭日大綬章をいただかれた栄誉を背負われた、防衛庁としては近来まれなる貫禄ある長官を迎えられたわけです。
(拍手) さて、同僚諸君、石井光次郎氏は、八日午時七時半、皇居において勲一等旭日大綬章を受けられたそうであります。あなたは、新聞によれば、答辞として、勲章をいただき感激です、国家、社会のために一生をささげますとお礼を述べられたそうであります。この感激さめやらぬ今日、この国会においてあなたは不信任案を突きつけられることになりました。